2007年10月14日
偉人「南方熊楠」

京都新聞に、「南方熊楠」の出版物の記事。書籍名「南方熊楠・菌類図譜(ワタリューム美術館編)3990円」と有りました。
久しぶりに、南方の名前をみて興味津々。
荒俣宏の「日本仰天日記」に出てきそうですが、
南方の著作集は圧巻です。
偉人というか、我が国初期の民族・博物学者でした。
1867年(慶応3)生まれで1941年(昭和16)に没する迄、生涯、在野に生きた世界の南方です。
特に、菌類の生態等を曼荼羅の思想的考えに高めたことは有名。
その生き方、人生観、知識、取り巻く人たち等々興味が尽きません。
顔を見ていると南方渡来民族の様な海洋民族を祖先に持ちそうな感じです。
当時、民俗学者で有名な学者はなんといっても「柳田国男」で、「海の道」や「東野物語」はあまりにも有名ですが、あくまで国家官僚として生きた人物。南方に理解をしめしながらもその社会的に目指す道が違いました。
南方は、国内に限らず、北米、南米から欧州まで駆け抜け、大英博物館の館員にまでなりながら、和歌山田辺で研究生活を続けた人です。
着物単衣に、虫眼鏡、マッチ箱の採集箱を持ちながら。
菌類を宗教的にも、博物学的にも研究史、数カ国語を屈指して世界に発信した偉人ですね。
「門弟への手紙」「土宜法竜との往復書簡集」「南方熊楠撰集」「大博物学者」「奇想天外の巨人」etc
今回の出版物もコレクションの一冊にするべくと。

Posted by SPC太郎 at
12:54
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2007年10月14日
スポーツチャンバラ大会
さあ、秋のスポーツチャンバラ大会が始まる。滋賀県教育委員会や体育協会も平成20年の全国スポレク祭IN滋賀に向けてプレイベンを開催していく予定とのこと。滋賀県スポーツチャンバラ協会も後期の試合に向けて発信。
スポーツチャンバラも漸く社会的認知を得てか、9月にBBCびわ湖放送で放送されてから問い合わせが殺到し、1一人二人と入門して頂きありがたい。
本来、「小太刀護身道」の武道名称を使用していたが、気軽に武道に接しられて、尚かつスポーツとしての健康増進につながるものとして、エアー剣が開発され、「スポーツチャンバラ」として親しまれる様になった。小太刀の武道や刀については次回説明。
さて
滋賀県回レク大会・スポーツチャンバラ親善大会 10月20日(土)於・野洲市総合体育館
栗東市少年少女大会 10月28日(日)於・栗東市体育館第2アリーナ
栗東市武道会演武祭 11月3日(土)於・栗東市体育館
近畿大会 12月2日(日)於・なみはやドームIN大阪
滋賀県スポーツチャンバラ協会としても、平成20年秋に開催される全国スポレク祭に協賛する為に滋賀県スポレク実行委員会を通して文部科学省に申請しました。
平成20年7月開催予定で準備中。栗東市体育協会加盟団体とはいえ、各種申請書類や連絡事項が煩雑で大わらわ。
スポーツチャンバラも漸く社会的認知を得てか、9月にBBCびわ湖放送で放送されてから問い合わせが殺到し、1一人二人と入門して頂きありがたい。
本来、「小太刀護身道」の武道名称を使用していたが、気軽に武道に接しられて、尚かつスポーツとしての健康増進につながるものとして、エアー剣が開発され、「スポーツチャンバラ」として親しまれる様になった。小太刀の武道や刀については次回説明。
さて
滋賀県回レク大会・スポーツチャンバラ親善大会 10月20日(土)於・野洲市総合体育館
栗東市少年少女大会 10月28日(日)於・栗東市体育館第2アリーナ
栗東市武道会演武祭 11月3日(土)於・栗東市体育館
近畿大会 12月2日(日)於・なみはやドームIN大阪
滋賀県スポーツチャンバラ協会としても、平成20年秋に開催される全国スポレク祭に協賛する為に滋賀県スポレク実行委員会を通して文部科学省に申請しました。
平成20年7月開催予定で準備中。栗東市体育協会加盟団体とはいえ、各種申請書類や連絡事項が煩雑で大わらわ。
2007年10月13日
沖縄より、教科書問題
9月30日に沖縄の友人からメールあり。
例の教科書記載問題。沖縄の方にとっては、大きな歴史の一ページで、一律に削除は問題。
学生時代に、沖縄の友人達と寝食を共にしただけに人ごとではなかった。
沖縄の近代史、特に戦中の記録本はかなり読んだだけによけいに胸につまされる。
しかしながら、本土(やまと)からも常識ある官僚、軍人もたくさんおられた事は事実。太田海軍中将や島田知事にみられる様に、今でも尊敬の念があるという。
またまた、時間があれば訪沖したいところ。
糸満市内の喜屋武岬、摩文仁ケ丘、南風原周辺、また沖縄市内。
師と仰ぎ、友と憂いしこの島の
緑なす山々碧き海
首里よ那覇よ糸満よ
わが恋人と呼ばせたまえ
われと汝が永久に
平和の鐘を
打ちつづけなん
例の教科書記載問題。沖縄の方にとっては、大きな歴史の一ページで、一律に削除は問題。
学生時代に、沖縄の友人達と寝食を共にしただけに人ごとではなかった。
沖縄の近代史、特に戦中の記録本はかなり読んだだけによけいに胸につまされる。
しかしながら、本土(やまと)からも常識ある官僚、軍人もたくさんおられた事は事実。太田海軍中将や島田知事にみられる様に、今でも尊敬の念があるという。
またまた、時間があれば訪沖したいところ。
糸満市内の喜屋武岬、摩文仁ケ丘、南風原周辺、また沖縄市内。
師と仰ぎ、友と憂いしこの島の
緑なす山々碧き海
首里よ那覇よ糸満よ
わが恋人と呼ばせたまえ
われと汝が永久に
平和の鐘を
打ちつづけなん