この広告は365日以上更新がないブログに表示されます。  

Posted by 滋賀咲くブログ at

2009年04月14日

沖縄・その六 沖縄そばと三枚肉

沖縄そば と 三枚肉

沖縄そば

三枚肉が入って豪勢です。またそこに、ミニ牛丼がついて贅沢。

金650円なり。

鰹の出汁きいてます。沖縄そばに三枚肉がのり、味を高め超うまい。

薬味に、紅ショウガ、かまぼこ、ネギなど。沖縄唐辛子を入れすぎると超辛い。

「どん亭」牧志店

ゆいレール「美栄橋駅」から徒歩で約7分。国際通りのむつみ橋方面へ歩いて

行くと、牛丼・カレーの看板が有ります。高倉ビル1F。


























ソウキそば

沖縄そばには三枚肉をのせて有りますが、ソウキそばは、

豚のスペアリブ=ソウキがのっているので「ソウキそば」

と言うらしい。

「ソウキそば」で旨かったのは、「我部祖河食堂」

名護バイパス店では、ソーキそばにいなり寿司(@80円)

をセットで注文すると良いですね。

*名護市・名護バイパス沿い名護ネオパーク入口  


Posted by SPC太郎 at 09:50Comments(0)雑感

2009年04月11日

沖縄・その四泡盛

泡盛コレクション

晩酌には泡盛を中心に飲んでますが、別に芋焼酎も。
これは、リビングの端に置いている泡盛。


























 泡 盛

 特に、3年以上ねかしてあるものを古酒=クースと呼ばれています。
銘柄説明

「かりゆし」 30度:新里酒造(沖縄市古謝)
        フルーティーでこくのある味。2種類をブレンドしてある。

「琉 球」  25度:新里酒造(沖縄市古謝)
        ソフトで食中酒(ラベルは復刻版)、25度程度は軽くて飲みやすい。

「北谷長老」43度:北谷長老酒造(中頭郡北谷町)*チャタンチョウロウ
        長期熟成した古酒。まろやかな味。年間の生産も限定されている。
        飲みやすい。

「萬 座」 45度:恩納酒造(恩納村)
       以前にも書きましたが、のどごしが柔らかい、独特の甘み。万人に愛される酒とか。
       しかし、45度であるので、あまり深酒はできない。
       「萬座」は観光地の万座毛から。

「琉球王朝」30度:多良川酒造(宮古島城辺(グスクベ))
       年間出荷数も限定されているとか。芳醇な香りとまろやかな仕上がり。
       飲みやすい。

泡盛の講釈 
 御承知の様に、蒸留酒の一種です。15世紀頃にはシャム(タイ)から伝えられたと言います。
 当時、琉球王朝は大交易時代で(万国津梁の銘文のように)、朝鮮、中国、日本はもとより
 東南アジアまでに貿易行い栄華を誇っていた平和な邦でした。
 ウイスキー、ブランデーも蒸留酒ですが、それよりも100年の前に製造されていたと言います。
 古酒をつくる瓶もベトナム等から入ってきました。
 



























「琉球王朝」と「北谷長老」の前に鎮座するシーサー君。  


Posted by SPC太郎 at 10:55Comments(0)

2009年04月05日

沖縄その五・ハブに注意

ハ ブ 酒

強いアルコール(40度以上)に生きたまま漬ける事により毒素が解毒され、

栄養素のある酒に生まれ変わるそうです。





















国際通りの酒店で撮影。ハブも簡単には捕捉できず、ハブ酒にするにも時間を要するために

価格も、6万円~10万円のものが主流。

ハブには、必須アミノ酸が多く含まれているそうで、酒に漬ける事により栄養分が

溶けでて、疲労回復に効くそうです。

ハブと言うと、以前はテーマパークで「ハブとマングースの闘い」を売り物にしていましたが、

動物愛護等の観点から禁止されているそうです。

「首里城石組み下の歩道」

 





















首里城を東南方面から石段を下ってきた所。ちょうど、モノレールの首里駅から徒歩で散策していくと、

首里城公園を登り切り、今度は、東側面歩道を下って行きます。

観光客の方は、有名な「守礼の門」から「歓会門」を経て正殿へ向かいます。

これとは反対の方である首里駅から公園を登り、石組みの下の歩道を行くとこの風景に出会います。

ハブに注意

 






















ハブが出没する季節です。石垣、草むら、十二分に注意を。

何だかんだと言っても、ハブは世界三大毒蛇と言われるぐらいの猛毒をもっいます。

かまれると、ケロイド状になったりして後遺症が残り、ひどければ死亡します。くれぐれも注意を要します。

ハブも生息する島と生息しない島があるそうですが、本島では生息しています。

昔、糸満市のとある村落でハブを捕まえた友人がおり、早速に料理して唐揚げにして食べましたが、

ちょうど鳥の唐揚げみたいなものでした。

但し、それを目的に捕まえようなんて絶対に考えないことですが。

  


Posted by SPC太郎 at 14:50Comments(0)

2009年04月03日

沖縄その三・海洋総合大学創立運動にて

沖縄国際海洋博覧会が昭和50年7月から6ヶ月間にわたって開催された。

ここ、名護市本部半島で開催され、その跡地は国営沖縄記念公園となり、「美ら海水族館」や記念公園となっています。





















はるか、伊江島を望む。

この海洋博は、昭和47年に沖縄が祖国に復帰したことを記念した博覧会と言われています。

と同時に、将来この跡地をどうするかとの議論も有りました。

それが、「国立沖縄国際海洋総合大学創立」誘致に関する運動でした。

当時、国際的に海洋法の問題で、領海200マイル等の論議もありましたが、

それに関しての食糧問題、海洋開発問題がクローズアップされました。

それを基礎に、海洋博を国際的なお祭りに終わらせることなく海洋文化のメッカとして

沖縄に国立沖縄国際海洋総合大学を創立させる運動が始まりました。

正に、沖縄は「万国津梁の鐘」の銘文にある様に

「琉球は南海の勝地にして
…云々」なのです。

代表世話人には、大山朝常先生(元コザ市長)が就任され、

関西からは坪井一夫先生が代表となって運動を展開されました。

いずれも故人となられましたが、今でも当時活動した

沖縄の有志・学生達が何らかの運動を展開しています。

 

















故坪井一夫先生を偲んで、集まった「沖縄もやい」の友人達

海洋博覧会を成功させる為には、跡地を有効利用しようと、世界に冠たる

海洋総合大学を創立しようと集まりました

それと同時に、祖国復帰まもない県下に於いて、戦禍、戦闘で斃れられた方々の遺骨が散乱しているとのことで、

戦没者の遺骨収集をしなければならないと学生達が結集しました。

「青年学生沖縄戦戦没者遺骨収集団」の結成でした。

ときの厚生省は、戦没者の遺骨収集は終わったと言っていましたが、

沖縄中部以南に於いて、特に島尻地区、摩文仁周辺には戦闘状態で

散華されたご遺骨がそのままの状態でした。遺骨を収骨し、ご慰霊しつつ、

平和を希求しようとの活動でした。

平和祈念堂(堂内には山田真山画伯による平和祈念座像が安置)周辺は未整備で、

国立沖縄戦没者墓苑
もなかった頃です。

その様な経過の中で、(財)沖縄協会の方々の大きな支えもありました。

沖縄協会は、昭和49年に設立されましたが、

それまでは、特殊法人「南方同胞援護会」として活動されていました。

昭和31年に設立され、沖縄問題だけでなく、北方領土、小笠原諸島問題までも取り組まれた組織でしたが、

昭和47年5月に解散されました。大浜信泉会長や吉田嗣延専務理事が活躍されました。(いずれも故人)

沖縄県が復帰直後、その様な経緯も有りました。今、米軍基地問題だけが先行していますが、

世にでていない運動が展開されていました



次回、また書き込みます。  


Posted by SPC太郎 at 11:10Comments(0)雑感