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Posted by 滋賀咲くブログ at

2009年06月30日

パール博士

ラダ・ビノード・パール博士

紀尾井町での二日間に渡る会議が終わり

少し時間ができたので、タクシーで車窓の旅。

九段に向かったところで靖国神社へ参拝。


 






















写真左側が「パール博士」。


インド出身のパール博士は、1946年~48年の極東軍事裁判の

判事を勤めた。

所謂、東京軍事裁判で我が国が敗戦したのを機に、その侵略性を

裁こうとした国際裁判。

しかしながら、パール博士は「侵略とは、本来過去に欧米列強がアジアに侵攻し、

各地を侵略、植民地化したことを云うべきで日本だけを侵略国として裁くのは

法の真理に背くと、日本無罪論を主張」した事で有名。

11人の判事の中で1人だけで反対された。

東京裁判が切っ掛けで、戦後の自虐史観が成り立っているとも云われる。

最近では、公共放送で有るべき、NHKまでが「アジアの一等国のシリーズ

番組」で日本の統治時代に於ける台湾を取り上げ歴史を歪曲、偏向した放送

をした事に台湾人を含めての集団訴訟にまでなっている。

台湾で、侵略戦争があったごとく取り上げ、「日台戦争」と云う造語まで屈指して

歪曲した放送をし、公共放送としての責務を失なっている。(4月5日放送)

写真右側は、「海防艦の碑」。

戦艦、巡洋艦型ではなく、近海、沿岸の護衛用の艦艇で、我が国の

沿岸防衛にあたっていた。

 

























天気もよく、大勢の人がお参りにこられていた。

境内は、御霊祭が7月に催されるとのことで、提灯や飾り物の準備で

賑やかでした。

近現代史を知るには、境内に「遊就館」があるので、是非見学を。




  


Posted by SPC太郎 at 09:02Comments(0)雑感

2009年06月29日

赤坂から紀尾井町

近江彦根藩・中屋敷跡























Hニューオータニの正面玄関右側に庭園に行く散策路があります。

そこに、彦根藩・中屋敷跡の碑が建っています。

中屋敷の敷地だけでもこの広さ。

 
























近江彦根藩・井伊家中屋敷跡
  
 譜代大名の筆頭

 *紀尾井町、ホテル・ニューオータニの敷地

尾張名古屋藩・尾張徳川家

 御三家

 *紀尾井町~上知大学あたり

紀州和歌山藩・紀州徳川家

 御三家

 *赤坂プリンスホテル~弁慶橋あたり

この三藩の名称から「紀尾井町」と名付けられた。

ちなみに、紀尾井坂の公園内には、明治維新の立役者

「大久保利通」が暗殺されたときの、受難の碑が建立されている。

 
























赤坂プリンスホテル旧館

厳かな中に、気品が漂っている。宿泊する身分ではないので、

記念撮影だけ。左てには、本館があり、奥の紀尾井町側には

新館が聳えている。

赤坂見付けから、東京メトロの永田町駅を通りこしたところ。



  


Posted by SPC太郎 at 17:40Comments(0)雑感

2009年06月27日

赤坂から紀尾井町・その1

 赤坂見附跡

「赤坂見附跡」

江戸城の外堀を守備する為の見付け門の跡。

江戸城には、内・外堀併せて36ヶ所の門があったと云う。

その内の一つで、外堀の警備門的な役割があり、

江戸城への敵の侵入を防いだり、見張りをしたりした施設で、

「見付」と呼ばれた。

 


















 赤坂御門の石垣跡

 























見付は、二つの門を直角にして配置され「枡形門」の形式を

取っていた。写真の銘板の右側奥は高麗門。明治時代の風景。

今は、外堀の内側には赤坂プリンスHが聳えている。

赤坂見附の左手方向の紀尾井町にはHニューオオタニがある。


 
























赤坂の繁華街方面を見る。国道246号、青山通りから。

写真左手は永田町方面(近くに東京メトロ・永田町駅)

夜になると、飲食店やホテルのネオンでまぶしくなる。

早朝に散策すると、歴史的跡地が銘板や碑で説明されている。

特に、江戸幕府から近代史にかけての歴史的跡地が多い。
  


Posted by SPC太郎 at 18:05Comments(0)雑感