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Posted by 滋賀咲くブログ at

2007年11月23日

大倉山シャンテ「白い恋人」再販完売

初冬の北海道
業界の研修旅行で初冬の北海道へ
初冬の為、まだ雪はたいしたことがないと思っていたのですが、高速を走行中の対向車はドカ雪を背負って通り抜けて行きました。
ひと山超えれば銀世界と言ったところだそうで、日本海側はすごく吹雪いていたとのことでした。
 大倉山シャンテ

札幌オリンピックで有名な90m級ジャンプ台
標高300mの大倉山に傾斜37度で設営とのこと。リフトで往復しましたが、ちょうど雪が降り始め感動していました。
よくこんなところから飛べるなと。売店の「飛翔」のロゴマークにイメージピッタリと思っていましたが。
近くの小学校では、30m級のジャンプ台が構内に設置されていて、小さい頃から練習しているらしいですが、それでも凡人にはびっくりものでした。
札幌オリンピックの時の日の丸飛行隊は、近くの70m級とのことでした。

ところで、我々団体の観光客がエスカレーターやリフトで上っている間、登り口を走って通りすきだスポーツウェアーの若者二人が、頂上に早々と休憩していました。
いつのまに、上ったのかと感心していると、近くの階段を駆け抜けたとのことで、これにもびっくり。

 洞爺湖
マイナス4度の湖岸にただずん出いました。
「しばれる~」とはこのことかと、顔面が凍てつく程でした。
左端の頂上に見えるホテルが「ザ・ウィンザーホテル洞爺」で2008年7月に開催されるサミット会場。
「芋焼酎をこよなく愛する御仁」はここに宿泊されたのかとうらやましくみておりました。

追・12月22日に新千歳から帰路につく予定でしたが、ちょうど「白い恋人」が再販される日でした。
  大倉山シャンテには山ほど販売されていて、空港で買おうと思っていたところ、全て完売の表示。後の祭りでした。
  空港には、マスコミのカメラがあちこちと取材合戦。同行していた友人がまとめ買いをしていたので、分けてもらった位です。
  他に販売されていたのは、「零下41度」とか「私の恋人」とか笑いました……それでも、買いましたが。  


Posted by SPC太郎 at 16:55Comments(1)雑感

2007年11月13日

満鉄の株券

南満州鉄道(株)の株券

南満州鉄道(株)と言えば、満鉄と略称されて大陸での満州国創設に一役かったことは議論が難しくなるので本題からははずします。
しかしながら、
満鉄沿線は、世界でも有数の都市計画でまちづくりがなされたこともある。
当時の、ヤマトホテルや関東軍司令部、その他は未だに近代的な様相を残しながら利用されていると言われている。
満鉄の調査資料も膨大なもので専門家にとっては近代中国史、アジア史を語るに大切にされている。
また、昭和13年(1937年)に設立された満映=満州映画協会は近代映画を切り開いたことでも評価を得ている。
政治的な色彩を抜き、娯楽中心に映画を広めたといえそうである。理事長・甘粕正彦は元憲兵大尉で関東大震災の後、大陸に渡り
満映を五族共和の旗印として、関東軍とは一線を引き、独自の道を歩んでいる。
                                           
 
満鉄の株券で500円額面。50円の10株券である。

時の満鉄総裁、林博太郎の名前が見える。中央のSLは、専門家によるとミカイ型かミカロ型の貨物車を索引しているもの。
満鉄と言えば、アジア号のパシナ981号の流線型が有名だがこれは違う。

満鉄は、遼東半島の付け根、日露戦争で有名となった旅順のほど近く大連埠頭~奉天~新京(長春)~ハルピンまでのびている。
日露の戦役の後、大陸への窓口として夢とロマンを運んだ事もあった。
明治38年に東清鐵道がロシアから譲渡された後、明治36年に満鉄が設立され、翌年に大連に移転している。

話がそれだしたが、
満鉄、満州を知る手かがりに、おすすめ図書を。
「満州まぼろし旅行」川村 湊(文春文庫)        「満州帝国の誕生」山川 暁(学研文庫)
「満蒙独立運動」波多野勝(ベスト親書)         「満州見聞録」ハインリッヒ・シュネー(講談社学術文庫)
「図説・満州帝国」太平洋戦争研究会(河出書房)   「世界史の中の満州帝国」宮脇淳子
「甘粕正彦」角田房子(ちくま文庫)            「満州裏史」太田尚樹(講談社)
その他、石原完爾関係、日露戦役関係、関東軍関係等々  


Posted by SPC太郎 at 08:25Comments(0)読書

2007年11月12日

天皇陛下信楽へ

 天皇陛下が滋賀県に来られ、11日の式典の後、本日信楽へ行かれたことはブログでもたくさん出ており、県民あげての歓迎の様でした。
 義父が信楽在住で、滋賀県知事からの要請により陶芸の森で拝謁の栄になり、名誉なこととなりました。
 数年前の叙勲の関係かと思いましたが、それとは関係なく要請があったそうです。

 ちょうど、宮町信楽遺跡の視察の後、大津に向かわれているころ、業界の会議で大津駅前のビルの一室にいましたが、3時頃から歓迎の日の丸の旗がひしめいていました。
 4時からは交通規制があるとの事で、会議閉会後あわてて駐車場を出ました。
私が、大学生の頃、栗東市で植樹祭があり昭和天皇陛下が当日の栗東町役場にお着きになられ、同じように歓迎の列に並んだ事を思い出します。

  


Posted by SPC太郎 at 17:35Comments(0)雑感

2007年11月09日

スポチャンの生徒達

スポーツチャンバラ

練習日:毎週金曜日 草津矢倉小学校体育館  17時30分から19時
        火曜日 栗東市民体育館      17時又は18時から1時間

体験大歓迎 気軽にきてください。  


Posted by SPC太郎 at 15:12Comments(0)スポーツチャンバラ

2007年11月09日

野戦用九八式

九八式軍刀

旧陸軍使用の「九八式軍刀」
野戦用の革覆い。本刀は、鉄、アルミの鞘を保護する形式のものではなく、木鞘を覆った略式外装である。
昭和13年の制服改正により、略式簡素化されたもの。



刀身は、二尺(60.6㌢)。片手での指揮、諸手での袈裟切り、突き等がしやすい。

下級将校(刀緒から尉官)であるが、下士官刀が使用する程度の拵えである。
革覆いの鍔元のボタンは、鞘走り防止の為。
鍔は本来、桜文様の鋳型であるが、この刀は、銀使用の別物で軍刀本来の純正鍔ではない。
はばきは銀製。
刀緒は、階級の違いや抜刀時に手に巻き付け脱落防止をした。尉官、准士官は裏地が紺青色。

刀身は、形や試し切り等をしない時は、白鞘に納めてある。

*追・勿論この刀も真剣である為に鑑定済みで登録してあるものです。
  


Posted by SPC太郎 at 08:40Comments(0)スポーツチャンバラ